欲しいものは造幣局

ずっと寂しかったんだ

REBEL IN JAPAN1週間前〜前日までの心情覚書

1週間前〜前日までと書いていますが、10日前くらいから書いていきたいと思います。

薄暗い気持ちが延々と書かれているだけなので気持ちが元気な人だけ先へ進んでください

 

7月25日〜7月30日

ずっと楽しみにしてきた CIXさんのコンサートだが、開催まで2週間を切ったあたりから「これそもそも開催できるのか?」と思い始めていた。

不安な状態であることを「はらはらする」と言うが、今はらはらしているなと自覚すると涙が出そうになるので何も考えないよう努めた。関係ないことを考えようとして、そういえば涙を流す時の音をはらはらと言うなあとかぼんやり思うとまた泣きそうになったりした。


数日こんな状態が続き、これの理由というか仕組みはなんとなく分かった。

私はこのコンサートがどうしようもなく楽しみで日に日に楽しみな気持ちが膨らんでいっているというのに、中止のお知らせが来る可能性は常にある。ふわふわと高揚したところを後ろから鈍器で殴られる、みたいなことがずっと起こるかもしれないということだ。怖すぎる。

期待が高まれば高まるほど、叩き落とされる時に負荷がかかる。もし CIXさんを観れない状況になってしまった時に打ちひしがれないように、私はひたすら育っているポジティブな気持ちを押さえつけていた。コンサートの存在自体あまり考えないようにした。地に足をつけていれば、後ろから突然殴られたとて這いつくばってしばらくすれば立ち上がれるだろうと思ったのだ。

でもこんなの、精神衛生面において良いわけがない。脈絡なく涙腺が緩むだけでなく、突然叫びたくなる時があった。心が折れるという慣用句があるが、この時の私は心が捻挫していた。転ぶのが怖くて実際にはないはずの石を想像して、ぐに、と無理やり力を入れては自分で傷ついていたように思う。

 

 

7月31日 

日曜日。美容院へ行く。担当の美容師さんもK-POPが好きなのでコンサートの話になる。「開催される確証もないしおちおち日々の糧にできないんですよね....」という話をしたところ、「分かります.....」と美容師さんも一緒になって肩を落としてくれる時間があった。かなり話を聞いてもらっていた気がするのだが、その間にテキパキと動いてくださり気付いたら髪色と艶がかなり回復していた。미안하고 고맙고....(ペジニョンさんが一時期よく使っていた表現) という気持ちになった。

 

8月1日

月曜日。先週から割とこの状態が続いていたのだが、コンサートのことを考えると胸が押さえつけられるような感覚になっていた。あまり考えないようにしていた。仕事の時や通勤の時のように手足が動いていればそれは可能なのだが、じっとしなくてはいけない時がかなりきつかった。電車が1番きつくて、色んなパターンのしんどい状況をぐるぐるシミュレーションしてしまっていた。

 

8月2日

火曜日。大好きな先輩が出社していたので、一緒にコーヒーを買いに行くことに。先輩にはコンサートへ行くことを話していたので、万が一コンサートに関することで何かあった場合の精神的な介抱を頼んだ。先輩は完全に面白がっており、介抱を快諾。介抱してもらう分何かしらこちらが払いたいくらいなのだが、何かあった場合はHARBSのケーキをご馳走してくれることになった。

ちなみにこの日グッズが発表された。通常時なら遅すぎるだろとつっこんでいたところだろうが、「今のところ開催するつもりではいるんだな」と言うことが分かって少し心が軽くなった。

 

8月3日 

水曜日。「もうどうにでもなれや」という境地に。だって悪い方に転んでもHARBSのケーキがある。HARBSのケーキと先輩は偉大である。

言ってしまえば、先のことを色々考えて不安になるというのは絶望の前払いなのだ。

期待をすると絶望の濃度が濃くなるから期待しない。思わしくない状況に直面した時にまとめてきた時のことを思うと耐えられないから絶望を散らす。

ただ、想像していたことが起こらなかった場合ただの過払いになる。なんて馬鹿らしいのだろうか。「期待はしすぎない、でも自ら悲惨な展開に近づかない」というシンプルな考えに至るまでに、私はひどく遠回りをした。しかし、私も私を20年以上やってきているので多分こうやって考えるのが好きなんだろうなと思う。

 

 

8月4日

この日、そろそろ検査を受けててもおかしくないよな〜と思いながら過ごしていたように思う。今日か明日、それか明後日?事務所からは特に何もお知らせはない。関係ないけどお知らせの時に 【안내】だけツイートしてあとは画像に書いてあるのは心臓に悪いからやめてほしい。【8月7日開催の日本コンサートについて】とかにしてほしい。

期待をしすぎたくなくてこの時点で往復の新幹線を押さえていなかったのだが、先述の先輩に「いやなんで?それは取っときなよ」と言われた。かしこまりました。

 

8月5日

まだ人気のない時間の金浦空港に、CIXは5人でやってきた。私はちょうどお昼休みに見たので12時ごろそれを見たはずだ。まだ手放しで喜べるわけではないものの、嬉しいものは嬉しい。5人の写真を眺めていると、画面の上から通知が降りてきた。

 

 

うわ、と声が漏れ出たと同時に目元がふつふつと熱くなるのが分かった。

 

 

 CIX、日本にいるんだな

 

 

夜。私が気付かない間にスンフンくんがvliveをしてくれていたようなのだが、それを観たであろうオタクのツイートが目に入った。

確か「日本語曲しかやらないの?」「振りも全部新しく作ったの?」みたいな内容だった。 CIXさんは3月に日本語曲のアルバムをリリースした。だからできなくはないのだ。できなくはないが、私はREVELツアーの一環だと思っていたので日本語曲が数曲入るくらいだと思っていた。

もしかして、私が思っていたコンサートとは少し様子が違うのだろうか。というか全部日本語バージョンになったりするんだろうか。急に冷房の風が気になって少し震えた。

実際に動画を観て確かめたかったが、予想が確信に変わるのも嫌だった。正直私はそれでもある程度楽しめる気がしていたのだが、私は同行してくれる方のことが気がかりだった。

2部で連番する方は元々コンサートに行くつもりにはしていたのだが、「せっかくだからFC枠でお見送り会まで体験してほしい、 近くで CIXを見た時の衝撃を体感してほしい」という私のお節介から連番を提案したのだった。

多分というか絶対に、本国のアルバムを聴いて CIXに興味を持ってくれているはずだ。チケット代も安くない。絶対に楽しい時間を過ごしてほしい。 CIXさんが日本に来れさえすれば、あとは彼らと私たちの体調だけ万全であれば大丈夫だと思っていた。ここへ来て不安材料が生まれるとは思いもしなかった。

 

 

結局、この日新幹線のチケットを取ることはできなかった。

 

 

8月6日

結局この日にチケットを取り、この日に荷造りをした。昼過ぎにネットで午後の新幹線を予約した。

久しぶりの現場、しかも遠征ということもあり荷造りにかなり手間取った。

持ち物リストを作ったのだが、最終的に現地調達したものもかなりある(シャンプーコンディショナー、歯ブラシセット、歯間ブラシ、ヘアゴム、追加の汗拭きシートなど)

こういう場面でサクッと買えるようになったのは喜ばしいことなのだが、「なんとかなるしちゃんとしてなくて良いじゃん」というマインドに拍車をかけていきそうで良くない。

連番する2人に渡すお土産を事前調べていたので、早めに駅に着いてお土産を購入。味が気になったので私の分も買った。夏に渡すお土産、基本的に常温保存可能なものに絞られるので難しい。

そわそわしているとあっという間に時間は過ぎ、品川に着いた。普段は東京駅で降りるのだが、押さえていた宿が品川からの方が近かったのだ。

今回は2泊するのだが、金銭面からそれぞれ違う宿に泊まることにした。この日泊まったのはシンプルなビジネスホテルだったが、コンビニも近くにあり快適に過ごせた。何よりベッドが広かった。

もし東京まで来て良くない事態になった時にのたうち回れるように、どちらのホテルもダブルベッドを予約した。ネガティブ由来の選択であったが、過ごしやすさは段違いなので結果オーライというものである。

ビジネスホテルだからかしっかりした机と椅子があった。明日連番する2人に小さめの手紙を書く。

好きなものを通して人との交流が生まれることへの眩しさは元々感じていたものの、「メタモルフォーゼの縁側」を観たところだったこともありその眩しい光が今自分に差している気がしてずっと落ち着かなかった。落ち着かなかった結果行き着いたのがお土産と手紙だったのだ。2人を巻き込んでしまった。重かったかもしれないので次お会いするときには物理的にも心理的にも軽やかなものをお渡ししたい。

 

 

 

いや渡すんかいという感じですが

 

 

 

当日の話に続く